2014年8月20日水曜日

 六日間の帰省を終える。
いつも帰省すると会いたい人、喋りたい人が誰なのか分からなくなる。
昔の友達の近況を聞いたり、ゴシップを聞いたりするのは楽しいけれど、それ以外は特に話すことがないなとも思う。

今更観たガンモが面白過ぎて、テレビに食い入ってしまった。

 めちゃくちゃ面白かったのだけれど、観るのが遅かったなって感じ。
公開時が97年。バンクシーが出てきたのは2003年とかだからちょっと離れてるけど、そういったアートのイメージの流れの系譜なように思えた。えーと、何か適切な言葉があるのかもしれないけれど、分からない、勉強不足ですね。ストリートの文脈がアートに持ち込まれた流れ、とでも言えばいいのかな。

まあ何はともあれ、めちゃくちゃ格好いい映画であった。

 テレビで食い入るという表現で思い出したけど、existenz も面白かった。クローネンバーグはとっとと全部観なきゃ駄目ですね。


船場のあたり、久しぶりに用事があって歩いたら、相変わらずの廃れっぷりに賑わっていた頃の映像が観たくなり、YouTubeで検索したところ、現在の船場センタービルのエレベーターを撮影した十数秒の映像が大量に発掘され、何だこれはという気持ちになった。
梅田の駅ビルに続いて、本町の再開発まで届くのは何十年後になるのやら。

帰りにジュンク堂に寄って、気になった本を諸々立ち読みする。
大谷能生の新刊にcornerdisc立ち上げのときの緑青のエッセイが載っていた。コチトラハグレティックエムシーズについて書いてあった。懐かしい。
 デス木こり!デス木こり!デス木こり!
初めて知ったのは studio voiceの巻末だった気がする。 studio voiceとかquick japanとかストリートやシーンを伝える雑誌はなくなっちゃったな、と思う。インターネットに奪われてしまった役割。
改めて聴くと、この頃から鎮座ドープネスは今のスタイルが完成されていますね。


話を大谷能生のエッセイに戻すけど、小さなパーティーに関する文章は昔の雑誌とかエッセイ集とかをちまちま漁っていくしかないので、まとまったものが読みたい。もしくは昔のシーンについてリアルタイムで記述されたブログ。探してるけど全然ない。

舞城王太郎の翻訳の新刊、面白いのだろうけれど、今、舞城を読むのも激しくダサい気がして読む気になれない。

こないだ買ったpatrikの靴をジュンク堂で座りながら見てたら、仲さんのブログのノームコアの記事を思い出し、この靴にはシャツインが合う気がして、早速トイレに行って、短パンにシャツを詰めたものの、街を歩いてたら、どんどん自信なくなっていった。というか腹が出てると駄目だな、と思う。シャツインするためには痩せねば。